東日本大震災から12年 再生可能エネルギーの推進を
12年前の今日、午後2時46分、西町にいました。
突然、道路が波打ち、電線が大きくゆれ、どこで何が起きているのか分からない不安、続く余震に不気味な感覚をおぼえ、周りの状況を見ながら家に向かったことを今も鮮明に思いだします。
国分寺に住んでいたら考えられない大津波による惨状が連日報道され、地域特有の災害リスクを反映した防災計画の策定や、発災時にひとり一人が自分の考えで行動できる創造力を培う必要性を強く感じました。
そして、福島第一原発事故による放射能汚染は、人々の暮らしを奪い、命を奪い、未だに続いています。廃炉への道筋も描けず、高度に汚染された放射性廃棄物の処理方法も確立されていません。すっかり変わってしまった風景に、「まだ何も始まっていない」というテレビの向こう側からの声が胸に刺さります。
そのような中、石油やガスの需給のひっ迫や、燃料費の高騰、カーボンニュートラル(脱炭素)を背景に、原発の再稼働や、これまで最長60年としてきた運転期間の延長を閣議決定しました。さらに、これまで政府が想定してこなかった原発の建て替えや新設まで進める方針です。国民への説明や議論もないまま、福島の教訓を忘れてしまったかのような政策の大転換です。
一度事故が起きてしまったなら、そこに住むこともできなくなり、生業を、人生を奪ってしまう原発。今もなお、3万人もの方が避難されているとのことです。この現状にもっと目を向け、資金、人材、技術力の総力を再生可能エネルギーの推進につぎ込むべきと考えます。